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集中講義・精神分析㊤─精神分析とは何か フロイトの仕事 単行本(ソフトカバー) – 2008/10/30
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――フロイトの「精神分析入門」と同様に,精神分析を知らない聴衆にじかに伝える系統講義。精神分析の理論を平板に紹介するのではなく,対話のなかで練り上げられて行く生成の過程を,実際に精神分析という営みを行なっている分析家が語りつくす。
この講義は大部分、2006年の上智大学における精神分析についての系統講義の春学期分をもとにしています。大学学部で講義しているとは言え、フロイトのウィーン大学での講義「精神分析入門」がそうであったように、私はできるかぎり高い志で、私の考える精神分析の本質をまったく精神分析を知らない聴衆にじかに伝えることを試みました。精神分析というものはこの国で根付いていません。欧米では、それはひところいくぶん持ち上げられすぎといえるほどの敬意を集め、その後生物学的精神医学や実証主義、より客観的に語ることのできる他のディシプリンの台頭によってその地位が危うくされつつあるという歴史をもっています。しかし、日本でそれは一度も真の意味の敬意を集めたことはないといってよいでしょう。おそらく世界のいわゆる先進国のなかで、一般の知識人と精神分析との距離がもっとも遠い国が日本なのです。長年パーソナルなものを差し出して訓練を積んだ精神分析家と自分の時間とお金を差し出して深い意味での幸福を求める被分析者とのあいだで、パーソナルで極度に親密な交流がきわめてフォーマルな枠組みのなかで長期間にわたって真摯に繰り広げられるユニークな営み、それが精神分析です。(「はじめに」より)
- 本の長さ296ページ
- 言語日本語
- 出版社岩崎学術出版社
- 発売日2008/10/30
- ISBN-104753308154
- ISBN-13978-4753308156
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出版社より
精神分析という知の対話的発展を語り下ろす待望の下巻
目次抜粋
Ⅲ フロイト以後
- 11 フロイトとフロイト以後の精神分析
- 12 第一世代の分析家たち
- 13 自我心理学の流れ
- 14 クラインの人と仕事
- 16 ビオンとポストクライニアン
- 17 ウィニコットの人と仕事
- 19 フェアバーンとバリント
- 20 ラカンの人と仕事
21 現代の精神分析 22 日本の精神分析
集中講義・精神分析㊦
―フロイト以後
精神分析という知の対話的発展を語り下ろす待望の下巻。 ――フロイ ト以後の発展として,対象関係論を中心に,自我心理学,クライン,ビオン,フェアバーン,バリント,ラカン,そして現代の精神分析を論じる。理論的な入門であると同時に,臨床への示唆にも満ちた,生きた精神分析の講義録。
「第21章」より
フロイトという人がそれに明確にかたちを与えて、言葉を与えて、ある一つの考え、文化というか、disciplineとして確立しよう、と考えたのが精神分析の出発点だと思います。その時から百年ちょっとたっていますね。そこにいくつものいろんなパラダイムの変化があったけど、一つのパラダイムができたからって前のが全部放棄されたり、一つの考えが正しいからって前のが全部捨て去られるということはなく、あるパラダイムが生まれるとこっちのパラダイムとの対話が生まれて、そこに緊張が生まれて、そこにまた一個解決が生まれ、その解決が生じたことでこっちにまたもう一つの視点が生まれるという、そういうことの永遠の繰り返しのようにして対話的に、弁証法的に、精神分析という知が構築されてきたことをお話ししてきたわけですよね。しかも、精神分析には訓練とか実践というものがそこにある。つまり人と人との生々しい交わりが患者とのあいだにも起こっているし、訓練を通じて上の世代とのあいだにも起こる、分析家同士のあいだにも。そういう交わりを通して、知の対話的な発展が行われてきているわけです。
世界中の分析家が読んでいる英語標準版を底本に,独語版も参照しつつ,正確でかつ実践家になじみやすい訳書
目次
精神分析における夢解釈の取り扱い(1911)
- 転移の力動(1912)
- 精神分析を実践する医師への勧め(1912)
- 治療の開始について(精神分析技法に関するさらなる勧めⅠ)(1913)
- 想起すること、反復すること、ワークスルーすること(精神分析技法に関するさらなる勧めⅡ)(1914)
- 転移性恋愛についての観察(精神分析技法に関するさらなる勧めⅢ)(1915)
- 精神分析治療中の誤った再認識(「すでに話した」)について(1914)
- 終わりのある分析と終わりのない分析(1937)
- 分析における構成(1937)
フロイト技法論集
実践家による実践家のためのフロイト
フロイトの書物は精神分析を実践する者が何度も繰り返し読むものであり,そのことは,どれほど多くの分析家の書物がそのあとに出版されようとけっして変わることはない。フロイトは精神分析のほとんど可能なかぎりの論点を提起し,それとの対話によって精神分析の知の体系は構築されてきた。本書はそのフロイトの論文のうち,もっとも実践に近い技法論文九本を,斯界の第一人者が翻訳したものである。
「監訳者あとがき」より
一番実践に近い技法論だけでも,もう少し正確でかつ実践家にもう少しなじみやすい訳書があったらなあ,という思いがあった。私はこの企画においては,英語標準版を底本にしようと考えた。フロイトが独語で書いたことは事実であるが,全世界の精神分析はいまや英語の文化である。ロンドンが精神分析の首都といってよく,世界中の精神分析家がSEを読んでおり,精神分析のほとんどの主要な雑誌は英語で出版されている。そうした雑誌の論文でフロイトが引用されているときは,ほとんどSEから引用される。この現実を踏まえれば,英語標準版を底本とすることには積極的な意義があるように私は思った。そして,それに独語版を一定程度参照すれば,さらに面白いものになるだろう。この訳書が正確で読みやすいものになっていることを私はひたすら願う。ともかくも,この訳書が日本で精神分析を志向する人たちの手に取ってもらえるものであることを願ってやまない。
『フロイト技法論集』に続き,正確で読みやすく,臨床家にすでに馴染みのある訳語で,スムーズに読むことができる
目次
強迫神経症の一症例についての覚書(一九〇九)
- Ⅰ病歴の抜粋 Ⅱ理論編
- ある幼児神経症の病歴より(一九一八[一九一四])
- Ⅰ前置き Ⅱ患者の環境と病歴の概観 Ⅲ誘惑とその直接的結果 Ⅳ夢と原光景 Ⅴ若干の議論
- Ⅵ強迫神経症 Ⅶ肛門性愛と去勢コンプレックス Ⅷ最早期からの新しい素材──解決 Ⅸ総括と諸問題
フロイト症例論集2
ラットマンとウルフマン
精神分析を学ぼうとするなら必ず目を通さざるをえない重要な二症例,ラットマン(鼠男),ウルフマン(狼男)と呼び慣らわされているふたつの症例についてのフロイトの論文を翻訳したものである。先年刊行の『フロイト技法論集』に続き,フロイトを,臨床家にすでに馴染みのある訳語を使ってできるだけスムーズに読む機会を若い臨床家諸氏に持ってもらいたいという願いから企画された。翻訳作業は,できるだけ正確に,かつできるだけ読みやすい日本語で,を目標に行われた。次に「フロイト症例論集1 ドラとハンス」の刊行が予定され,さらに「メタサイコロジー論集」を加え,フロイト論文のなかで臨床に直接結びつくものがカバーされる構想である。
「監訳者あとがき」より
この訳書は、ラットマン(鼠男),ウルフマン(狼男)と呼び慣らわされているふたつの症例についてのフロイトの論文を,英語標準版(Standard Edition: SE)を底本として翻訳したものである。これらの症例論文の意義については言うまでもない。精神分析をすこしでも学ぼうとするなら,必ず目を通さざるをえない二症例である。具体的にはNotes upon a case of obsessional neurosis (1909) In The Complete Psychological Works of Sigmund Freud X (1955)とFrom the history of an infantile neurosis (1918 [1914]) In The Complete Psychological Works of Sigmund Freud XVII (1955)を翻訳した。
土居健郎をして「ほとんどフロイトを越えている」と言わしめた著者の代表三部作
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精神分析という営み私が精神分析的な実践を続けるなかで紡ぎ出してきたアイデアを綴った論文をもとにしている。主に、精神分析の専門誌に掲載されたものと共著の単行本に寄稿したものである。古いものは十年以上前に書かれたものであり、新しいものにはごく最近のものもある。つまり私が四十歳代に書いたものである。 |
続・精神分析という営み7年の時を経て待望の続編。逆説をもちこたえるパーソナルな体験。「私たちは自分を失うことをとおして,何者かに出会う。」「緊張、生きていること、生産性、そして性愛は本質的に絡まりあっている。」日々の精神分析という営みのなかから紡ぎ出された言葉が,あらゆる心の臨床家に語りかける。 |
精神分析という語らい精神分析の重要な概念、フロイトや日本の精神分析家たちの考えたこと、そして精神分析というできごとについての概念化と語らっている。精神分析というものが何であるのか、そして自分が精神分析家であるということはどういうことなのか、という問いと格闘してきた二十年の成果である。 |
商品の説明
著者について
1953年福岡県に生れる。幼少期を山口県の瀬戸内海岸で育つ。1978年東京大学医学部卒業。その後,帝京大学医学部助手,東京大学保健センター講師,日本女子大学人間社会学部教授を経て,現在上智大学総合人間科学部心理学科教授,東京神宮前にて個人開業,国際精神分析学会会員,日本精神分析協会訓練分析家,日本精神分析協会運営委員,日本精神分析学会運営委員,小寺記念精神分析研究財団理事長。
著訳書 精神分析という営み―生きた空間をもとめて,続・精神分析という営み―本物の時間をもとめて,精神分析という語らい,認知行動療法と精神分析が出会ったら―こころの臨床達人対談(以上,岩崎学術出版社)心のゆとりを考える(日本放送出版協会)転移-逆転移(共著,人文書院),「甘え」について考える(共編著,星和書店)オグデン=こころのマトリックス(訳,岩崎学術出版社)サンドラー=患者と分析者[第2版](共訳,誠信書房)現代フロイト読本1・2(共編著,みすず書房),落語の国の精神分析(みすず書房)フロイト=フロイト技法論集(岩崎学術出版社)他
登録情報
- 出版社 : 岩崎学術出版社 (2008/10/30)
- 発売日 : 2008/10/30
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 296ページ
- ISBN-10 : 4753308154
- ISBN-13 : 978-4753308156
- Amazon 売れ筋ランキング: - 213,733位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,031位臨床心理学・精神分析
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
著者は、東京大学医学部を卒業された精神科医であり、国際精神分析学会(IPA)に認定された精神分析家でもいらっしゃいます。
本書巻末の著者略歴によると、本書の第3刷が発行された2013年8月29日現在の時点で、上智大学総合人間科学部心理学科教授であり、また、東京神宮前で個人開業をされているみたいです。
本書の記述によるなら、上智大学では精神分析の講義を通年で行っていて(その講義を書きおこしたものが本書です)、個人開業されたクリニックでは(自由診療の)精神分析と(保険診療の)精神療法および薬物療法を行っているみたいです。
また、本書によれば著者の(精神分析技法上の)師匠は『甘えの構造』で有名な土居健郎さんのようです(ちなみに、これもまた本書によれば、土居さんの師匠は日本に精神分析を持ちこんだ、古澤平作さんらしいです<諸説あるそうです>)。
ぼくは精神分析の門外漢なのですがもともと精神分析に興味を持っていて、精神分析関連の本を結構大量に買いこんできました(そして積ん読してきました)。
そうこうしているなかで、Amazonで「精神分析」というワードで検索をかけたところ、本書と出会いました。
以前、知り合いの精神科医に「岩崎学術出版は一流」という旨を聞いていたので(また、レビューが高評価だったため)下巻と合わせて購入することにしました。
自宅に届き本書を紐解いてみると、やはり「集中講義」とあるように会話体で読みやすく、また、内容も高度で満足しました。
そういえば精神分析の創始者であるフロイトも、講義録を出版しています(新潮文庫の『精神分析入門 上・下』など)。
注意点ですが、著者はクラインにはじまる対象関係論に親近感を抱いているようで(本書のなかで著者がそう述べています)、自我心理学やラカンの精神分析についてはあまりページを割いていません(ラカンについては特に)。また、自己心理学については「自己心理学というものがあります」(大意)ぐらいのことしか触れられていません。
そのため、ラカンについて知りたい方は松本卓也さんの『人はみな妄想する』を読むといいと(ぼくは)思います。
というわけで、本書と松本さんの本を合わせて読むと精神分析の通史が大体わかる、と素人ながら思っております。
ちなみに、「精神分析の通史について知りたい人は小此木啓吾さんの『現代の精神分析』(講談社学術文庫)がオススメである」(大意)と著者は書いていらっしゃいます。
小此木さんの本もぼくは持っていますが、これもラカンについては述べられておりません。
*本レビューは上下巻合わせての評価です。
**上記のとおり精神分析の門外漢のため、レビューの記述に誤り等含まれるかと思いますが、その際はご寛恕願えれば幸いです。
本はとても読みやすく解りやすい本なのだと感じますが、私は精神保健福祉士なのですが、とても書いてあるような精神分析をするための面接や会う頻度など作れないし、お金を使うことも貰うこともできないと思いました。
そして、本物の精神分析療法家に紹介できるようなお金を稼げてる患者は私の受け持ちにはいないなとも思いました。
精神分析は本を読んだり、講義など受けて知ることはできても、実際に「実践できる」と言えるようになるのには、かなりの時間や費用も必要なものなのだと学ぶことができました。
しかしながら、講義を聞いた後に復習目的で読むのであればさらに理解を深めることができる。
上智大学での講義内容をまとめたもので、話し言葉で書かれており、とても読みやすいです。
日本では精神分析というと、哲学や文学における応用精神分析のような理論的側面が強調されがちですが、本書では、実践(精神療法)としての精神分析に重点が置かれています。
これから精神分析を勉強してみたいと思っているにはうってつけの本だと思いますし、理論としての精神分析しか知らない人にも充分楽しめる本だと思います。
心療内科の臨床や、心理臨床の現場で精神分析的技法を用いるというのではなく、「精神分析」そのものを行っている、正真正銘の精神分析家による(大学での)講義録である。
つまり、毎日決まった時間になったらクライエントが著者の家を訪れてきて、長椅子に横になって、色々と頭に浮かんだことを話し…という営みをこの日本で実際に行っており、かつその収入で生活している人間が書いた本なのである。
非常に失礼な言い方だが、まあ何というか、「チョンマゲを結って腰に大小の刀を差し、草履で歩くあのサムライがまだ日本にいた」的な衝撃を受けてしまう。
(実際は、世界に数千人ぐらいの分析家がいるという。その意味で、私の受けた衝撃は日本人特有の誤解に基づいているのだろう)
意欲的で示唆に富んだ内容はさておいて、個人的に気になったことが一つある。
下巻のあとがきによると、本書はテープレコーダーに録音した記録を基に構成されたとの事だが、実は「下巻に含まれるべきいくつかの講義の録音がうまくいっていないところが多々あり、そこをあたかもしゃべっているかのように書いて補うという作業を」しなければならなかったという。
こういうアクシデントは、普通なら単なる偶然や不運として片付けられてしまうものだが、精神分析の世界ではそうはいかない。
こういう不慮の事態というのは、必ず主体の「無意識の欲望」が関係しているからである。
ちなみに、私が読んだ限りで「ああ、ここは文章として書いているな」という印象を最も強く受けたのは、ラカンについての回だった。
本書を貫く(講義録という)バーチャルな「臨場感」が、ラカンの回のある部分でスコンと抜けていたのだ。
扱いこそ小さいものの、本書の著者はラカンの思想や方法論のラディカルさに一定以上の評価を与えている。
フロイト以後の精神分析における最もラディカルな分析家として、クラインとラカンを挙げていることからもそれはうかがえる。
だがその一方で、ラカンには引っかかりというか、ある種の違和感を感じているようにも思えた。
ご存じのように、ラカンは精神分析において「鬼っ子」のような存在である。
その独自の方法論や特異な性格から、ラカンはIPAという精神分析の国際学会から「破門」された経緯がある。
(ラカン派の精神分析団体の多くは、現在でもIPAに所属していない)
対象関係論という、精神分析においては比較的主流の立場にある著者の、ラカン派に対するとまどいがまさにアクシデンタルな次元において表現されてしまった気がしてならないのである。
では何の本かというと、
はっきり言って著者の自伝にちかい。この方が学んだ精神分析とはどういった立ち位置にあって、どのような歴史があるのか、それを学べる本。
だからエッセイ風に書かれている。良く言うと読みやすいかもしれないが、悪く言うと言いたいことがとっ散らかっている。
結論、理論や精神分析を何かに実践したいがために学びたい人にはオススメしない。
それを学んだ上で、精神分析とはそもそもどうやって誕生したのか、他学問との違いは?
などなど大枠を掴むことを目的とする人にはふさわしい。